イマジナリーヌラリヒョンと過ごす日々

雑多なこと。方向性は決まっていない。

昨日の夜書いたのに投稿し忘れたものに今日の分を足す

こういう締め切り間際に様々な問題が身体に起こる現象超ウケる。

……わきゃーねぇだろうが!

 

逆に一回文章を置いて無になって向かい合いなさいという神様のお告げと考えることも出来る。

今日は出来る分の見直しをして早めにおしまい。

 

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ふと思ったけど、今日自転車で11キロ走行した負担が今日出たんだろうか……(←筋肉痛次の日にくる人間)

明日ってもっとひどい目にあっているのかな。

その時は寝ながら書くからいいか。

 

 

(日曜日分)

もっとひどい目にあって首回りはボディシールという名のシップを貼っている。

 

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喪失感による苦しみを、どう扱えば良いのか。

飽食・飽和の時代と呼ばれる現代では、大量生産大量消費。

傷が深まらないように、心を渡さなければいいのか。

次へ次へと渡り歩けば、それが退廃し滅びゆくさまを見ずに済む。

 

喪失はストレスの中でもトップクラスの痛みだ。

最近物を大事にしない云々を見るけれど、大事にしなければ壊れても辛くない。

次にいけばいいという安心感があるから喪失感は薄れる。

 

なにかを大事にするって、耳障りはいいけれど、本当にいいことだろうか。

大事にしたのと同等の苦しみが、同時に生じる。

大事にするって怖くないだろうか。

私は怖くて、もうソシャゲに嵌れない。心にブレーキをかける。

プリコネみたいに、アニメやCDなど別の媒体があるもの、遺るものがあるなら良いんだ。

データオンリーなんてもう二度と触れたくない。

 

いいなあ。すぐに代用品が見つけられるひとは。

もっとあれこれ好きになれる才能があれば、終わりにも前向きになれたのだろうか。

「終わってほんま鬱鬱鬱」→「今回のアプデ神ってる!」

くるん、と気分が変えられるひとは、生きるのが物凄く上手だ。

人間として生きる能力に長けている。

きっとストレス耐性もそれなりにあって、社会の中でもしっかりやっていける。

 

世間ではまだこいつバンケツの話してんのかと思われても仕方がないw

いつになってもお前はそこから動かんね~と自分でも思うw

 

ヒプマイでフォローしてた人たちが、今じゃもうばらばら。

仲良さげにしていたり、本買いました報告沢山していたりしていた、

そういう人達が別のジャンルで楽しそうにして、フォローもお互いに外している。

 

そっか、そういう楽しみ方なのか。アリなのか。寧ろ多数派か。

はっとした瞬間だった。

 

ジャンルを嫌いになったわけではない。

でも関心は薄れている。よく弱火だよと言われている状態。

弱火って発信はしないのよね。受け身状態。

今は何が楽しいか(面白いか)よりも、何が流行っているかが重視されていると思う。

だから発信の一切ないものって、結局なにもないっていうか、存在がないというか。

 

批判しているわけじゃない。

ネットで関心の移り変わりが可視化しているってだけで。

勿論、SNS中心で生きているわけではないので、見えない部分で動いているものも沢山ある。

 

はー、なんやろ。

ただふと、バンケツっていうジャンルについて思い出しただけ。

八百万界自体は毎日考えて唸っているけれど、そっちはオリジナルみたいな方だから。

そうではなくて、公的な八百万界というか(公的?)

なんだ……共通認識? 的な………?

並行世界……?

 

 

ちょうど、絵で苦しんでいるプロ(企業案件あるガチのプロ)の垢を見つけて、

物凄く業界に対して、自分に対して苦しんでいて、

それについて感じるものがあったんだな。

 

数字を気にするな楽しめ。は、どの位置に立つひとがいうんだろう。

言いたい事は判るんだけれど、心になかなか入ってこない。

そもそも人々が、数字を見て満足して、絵も文も見てないじゃん。

中にはその作品を見て、良いと思ってくれた(る)人がいる。

 

人の数だけ考えがあるから、大きな主語では語れんね。

ビジネスと割り切っていて、良いものをかくひともいるしね。

戦略うっま……と感心すること多いよ。

 

私自身は、苦しんでいる人の方に共感するので、そちらを話題にしがち。