イマジナリーヌラリヒョンと過ごす日々

雑多なこと。方向性は決まっていない。

私小説について

……まじで分類判らん。



なんで突然? って思ったかもだけど、今書いている話の中で「私小説」という単語を出そうとしてやめたんよ。
この言葉……本当に使い方あってる? って自信なくて。


今書いている話……はバンケツで、『私』とヌラリヒョンの対話形式。
一切地の文がない。これには勿論理由があって地の文ゼロで書いている。

夢小説は投影型小説であるので、ヒロインは読み手であり、相手はキャラクター。
人によってはヒロインを一人のキャラクターとして読む。
と、読み方には二種類ある。

で、今回バンケツで使った手法は、ヌラリヒョン(二次元キャラクター)と私(のにょ/筆者)。

厳密には私自身ではないのだが、まるで私自身が語っているように書いている。
舞台も、ヌラリヒョンがいる八百万界という二次元空間と私が会話するのではなく、
何処とも知れぬ場所(場所の描写一切ナシ)で話している風で、話が進められていく。

こういう「私」が主人公の奴って、私小説じゃない? って思ったんだけど、私小説、心境小説って厳密なこう……分類がないのよね。
だって、梶井基次郎の『檸檬』が私小説とみなされるんだよ……?
あれって、そういう視点で読んだ? 私は普通の話として読んだよ。
学校で習った時もそんなこと言ってなかったと思うんだよね~。


で、少し話を広げると、「マジックリアリズム」って分類があるのね。
ほらリンク

「日常にあるものが日常にないものと融合した作品」とあるのね。


ここの「百年の孤独」が判りやすかったな。
あり得ない現象が普通に起こってるの。

日常色が強くて、非日常要素が入るのがこれ、っぽい。
だから、ハリーポッターホグワーツであったり、「魔法の世界」があるわけだからマジックリアリズムとは言えないんだって。
判りづれー。



で、話を戻す。

今回書いている小説って、じゃあ何? って。
私の頭の中で、私とヌラリヒョンが会話しているっていうのなら、私小説
異次元で話しているとなると、マジックリアリズムでもなく、私小説でもなく、普通の小説?

よくわかんないよね……私は判らん。

結局放棄して別の言い方を小説内では使ったの。





バンケツ好きな人はここに来ない(pixivにさえいない)ので、言うけれど
今回の話は取り組みとしては面白いと思うんだ~。

自分とキャラが喋るというと、夢小説に触れている人たちには珍しくないように思うけれど、
普通は自分とキャラなんてないでしょ。それも会話文のみ。

テーマと絡ませるギミックの関係で会話文のみにしたけれど、割と楽しいよ。
内容は説教臭くて、ちょっとうるさいけど。
今回の文章は、ツイッターに住まうファンへのアンチ文なんだ。

バンケツとはほんと謎の文化で、ツイッターの人たちで独自の社会を築いている。
でまたその人たちが、声高に色々と主張するもんだから鼻につく。
私以外にもそう思っている人たちはいて、別の場所では書き込みを見る。

で、私もわざわざ水をさすのもみっともないと思って黙っていたけれど、やっぱ言いたくて。
言いたくてこういうブログに書き捨てて。
でも、隠れてこそこそ言うのも、それもまたダサすぎ。かっこ悪い。
だから、小説っぽいものにまとめて、更にちゃんとテーマを盛り込んだものにした。

ただ意見言うだけだと角が立つし、言葉って結局正確には伝わらないんよね。
言葉は表情や声色、その他の情報があって初めて人に伝わる。
だからソクラテスだって文章を残していない。

だがそれでも言葉で伝えたいから、伝えたいものがあるからワシらは小説を書いているのであって。
自分の感情や考えを伝えるために、小説という翻訳機を通しているんや。
それで世間に向かって叫んどるんや。

「"私"はここにいるぞ」