イマジナリーヌラリヒョンと過ごす日々

雑多なこと。方向性は決まっていない。

アドラー

十二月下旬の寒さだってさ。
家でウインドブレーカー着たし、ファンヒーターもついたよ。
 
これと言って特筆すべき行動はしていない。
ただひたすら創作をしていただけ。
 
今回のバンケツ云々で他のアカウントを見て、
消えていくコンテンツのことを考えていたら短編のラフ(プロット未満)が一つ出来ていた。
もう過去なんだからと折り合いをつけていこう。
って、それが楽だと判っていても出来ないのが人間なんだよなあ。
 
小説寄りの頭にすると暗いことばっかり考えてしまう。
多分なんでも深く考えようとするからなのだけれど。
 
四コマ連日描いている時はお花畑だったね。
ただ可愛い彼らを考えるだけで良かった。
 
 
──と、沈み気味だったのは午前中で、午後はアドラー心理学の事を考えていた。
 
アドラーは「承認」を求めてはいけないと言う。
承認欲求を否定する立場である。
 
 
”朝、早く登校して掃除をしたら、先生やクラスメイトに褒めてもらった。
 それが嬉しくて次の日も掃除をした。その次の日も、次の日も。
 そのうちに誰にも褒められず、寧ろ自分がやるのが当たり前と思われてしまい、嫌になってやめた。“
 
 
やめてしまったのは、他者からの承認を求めてしまったから。
だがどうして人は承認を求めるのか。
それは、賞罰教育の影響である。
 
褒められなければ適切な行動がとれないのか?
罰せられなければ不適切な行動をとるのか?
 
それっておかしいでしょ、っていうお話。
 
 
自分は自分の人生を生きるものである。
承認を願えば、他者が望む「こんな人であってほしい」という期待に応えてしまう。
それは自分の人生ではない。
 
自分は他者の期待を満たすための存在ではない。
他人もまた自分の期待を満たすための存在ではない。
 
 
……と、教育の話で出てくるんだよなあ。アドラー
子育てで「褒めるな」「叱るな」「対等に扱え」と言うんだよ。
 
いや……難易度高すぎるでしょ……理想はそうかもしれないけれど……ええ……?
 
あと勇気づけと褒めるの違いが判らん……。
「凄いでしょ?」と言われた時に「凄いね」と返すのはアウトなの?
 
 
アドラー式子育てというジャンルにもんもんとした半日。
 
これ投稿したらまた創作をガリガリする。